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ぐーるぐる

Category: 雑記  

魔法陣ではないけれど。




頭の中でぐるぐる回る。


彼らの喜び、妬み、苛立ち、楽しみ。

一つ一つが頭を巡る。



ストレートな感情は、それ故に、まっすぐ私に突き刺さる。

抑えこんだ感情は、だからこそ、じんわり言葉からにじみ出る。


分からないけど分かったふりして。

分かってるけど分からないふりして。


真面目に、話半分に、彼らの言葉と感情を受け止める。





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 2016_07_05

ポチポチ

Category: 雑記  

ポチポチ。


携帯を触る。



あ、先に言っておこう。今日はちょっと長くなるよ。



普段開かないツイッターを開いてみる。溜まった未読のツイートを眺める。


つい数日前にも開いたのだけれど、意味の分からないものから楽しんでいる姿が思い浮かぶものまで様々だ。


そして大体、私が真面目に見るのは、何かしらの記事関連。やっぱりツイッターやタイムライン、ブログを読み漁るのは自分の性に合ってるみたい。

といっても大半は眺めるだけで終わるのだけれど。



今日も私はそれを見て。今回は子育てに関する記事みたい。


その記事の主は、”0歳児保育=育児放棄”ではないかと訴える。

いろいろ書いてあったけど、要は保育園に生まれたばかりの子どもを預けるのが納得いかないってことらしい。

かなり強引な主張ではあったけど、言いたいことは分かる。それに同意もできる。ただ100%の賛同はしないけれど。

リプの多くは、批判のほうが多かったかな。



まぁ中身についてはぶっちゃけどーでもいい。他人事というわけではないけれど、私が正しいと思うことを実行するだけだから。言いたいことは、今ここの私みたいに、言わせておくだけでいい。



気になったのはリプの反応そのもの。


多くは、視野が狭い、実情が見えてない、などなど反対コメント。

反対コメントも中々、それもそうだと思うものもあったのだけれど、主が主張する保育の実態には答えていないし。



何より、見え隠れするのが自分の主張の正当化。



自分はこうしてる。理由はこうだから。

20年前の老人たちの主張と同じ。考えが古い。

こう言ってるけど、それってこういう事だよね。


などなど。



世の中のほぼ全ての人は、もちろん私の知りうる限りの人たちだけれど、『自分を正当化』する。



当然だ。

自分を正当化するから、自分の考えがあって、主張が生まれるのだから。

そうやって、自分で自分に言い聞かせながら、生きている。


しかしまぁ厄介なことに、自分を正当化するのはいい事だけれど、主張する内容そのものが正しいとは限らない。さっきまで書いていた、0歳児保育の話がまさにそれだ。



これを見た時にも思ったのだけれど、数日前にツイッターで、『日本の謎すぎる風潮20選』ってのを見かけた。

確かに同意できるものもあるけど、それは違うだろう、と思ったものも山ほどあった。一部抜粋すると

 

・「仕事がいやでも三年は続けた方がいい」という根拠のない定説

・「有給・育休・産休」を取ることをよく思わない上司

・過剰なまでの年功序列

・テストの点数や売り上げなど、数でしか人を判断できない大人


話しやすいものを選んだから偏りはあると思うけど。

これらが、謎でも何でもない風潮だと思う。


よく目にするのは、「仕事がいやでも3年は続けた方がいい」というもの。

これが何故言われるようになったのかというと、かつてのバブル崩壊直後の時代背景が大きい。

企業が人を選んで雇用するようになった。加えて、企業は利益を出さなければならない。雇用した人が利益に直結するかというと、そんなこともない。会社で最もかかる費用は人件費だと言われる程、人を雇用するというのはリスクが大きい。


『3年以内で辞める人を雇用する=赤字にしかならない』


故に、3年も続かない人を、企業が雇用しようと思うはずがないのだ。経営者の視点で見れば。

ハイリスクハイリターンであればいいのだけれど、ハイリスクローリターンの可能性もある。わざわざそんな危険を冒して雇用する理由がどこにあるのだろうか?


「有給などを取ることをよく思わない上司」も、似たようなもので。

利益を出さなければならないのに、稼働計画も考えず休みばかり取られて、挙句人件費は払わなきゃいけないなんて、いい顔するはずがない。

逆を言えば、それらが解消されていれば、快く休暇がもらえるわけで。上司からすれば権利を主張する前に結果を出してから言え、という事だ。

私から言わせれば、有給取りたかったら取ったらいいけど、嫌な顔するのにも妥当な理由があるのを理解して、休みをもらえばいいと思う。そこに文句言うのはお門違いでしょ、公務員ならともかく。



話が逸れたので修正。



なんにしても、ほとんどの人は『自分を正当化』するのだ。その主張が正しいかとか、妥当性があるかとかは置いといて。


そして、こうやってネットを使っているからこそ思う。



ネットというものが普及したことによって、人の言うことを聞かない人が増えたんだろうな、と



自分自身も正にそうなのだろう。

掲示板やSNSが当たり前になって、自分の考えていることに同調する人ができて。


これはあくまで推測だけど。

ネットが普及する以前は、自分が間違った主張をしたのであれば、親族だったり上司だったり、いわゆる人生の先輩が、それぞれの立場から色々教えてくれていたのだろう。社会に出ることで、横よりも縦の繋がりが密になるから。


しかし、ネットが普及することで、不特定多数の人と話ができるようになり。

SNSの普及で横の繋がりが密になり、掲示板で考えの近い人と仲良くなって。

ネットには色々な主張が飛び交うからこそ、「自分を正当化」する為の情報を選んで手にすることもできる。

そしてそれに同調する人たちが一定数いると、自分は間違ってないと思い込む。



そして、他人の主張を受け入れなくなる。



{「お前がそう思うんならそうなんだろう。お前の中ではな。」というテンプレを使って、自己防衛に走る人たちもいる。

このテンプレに関しては、正しく使ってほしいと心から思う。)




憶測で語るのはこれぐらいにして。


何より思うのは、相手の意見に耳を傾けて、推考して、自分の主張が正しいのか見つめ直して。

そして全ての人が、自分をより良く高めていけたらいいのに。


私自身だってまだまだ出来ていないと思うけれど。

どうやら私は理想主義な考え方みたいで、人にもそれを求めてしまいがちで。(それが原因で彼女と別れてしまったし)




ただただ優しいだけでなく。


通念的に、そう在ればいいと思われることを、実行していけるようにしていきたいと思うのでした。





 2016_06_09

さぁさぁ

Category: 雑記  

雨。




降る。




さぁさぁ。


雨は降ると言うけれど。雨が落ちるとは言わない。

でも、気分は落ちる。



さぁさぁ。


落ちる気分。下がる気分。

登る気分。上がる気分。


気分。



さぁさぁ。


気持ちが落ち着かない。でも気持ちは落ちない。

気分は落ちる。でも気分は落ち着かなくない。


落ちる。落ち着く。



さぁさぁ。


考えて、考えて、考え抜いて、考え抜ける。

抜ける。つまり落ち目。


落ちる。



さぁさぁ。


落ちて落ちて、落ち果てて。

果てとはつまり有限で。

果てた後には戻るのみ。


戻る。



さぁさぁ。


戻る。つまりリセット。


初期位置。



さぁさぁ。


ようやく冷静に考えられる。

今なら何も怖くない。なぜならさっき落ち果てた。

果てまで行った。つまり既知。

知ることほどに、心強いものはありはしない。



さぁさぁ、いくらでもかかってこい。

降れば降るほど、その地は打たれ、強くなる。

この自も打たれ強くなる。




 2016_05_17

帰路

Category: 雑記  

河川敷から街中へ。



今までと反対の方向への散歩だったから、見る景色全てが真新しい。



つまづく。何とかこけずに済んだ。

このくぼみは何だろう?元々ここに何かあったのだろうか。

家の前で話す主婦がいる。楽しそうだ。自分の子どもの話をしているのだろうか。自転車に乗ってどこに行くところだったんだろう。時間的に買い物かな。


車が横を走る。後ろの車がやたらと詰めて走っている。急いでいるのだろうか。それともマイペースに走りたい人なのだろうか。窓から見えた顔はすました顔をしている。あの距離が彼の当たり前なのだろうか。



住宅街へ。


花屋さんがある。隣には閉店した居酒屋が。その隣にはきれいな和食店がある。ここにも何かの物語があったのだろうか。

小学校の前を通る。関係者以外立ち入り禁止。下校時のルールを書いた看板がある。グローブを付けた笑顔のカンガルーの絵は、何を意味して書かれたのだろう?不気味な笑顔だ。


大きなカバンを持った女性とすれ違う。片手にはアナログな地図。近くのおじさんに道を聞いている。

近くに駅があるわけでもないのに、彼女は一体どこからきて、どこに向かっているのだろう?



なんてことのない散歩。


それでも普段と違う時間。


何も解決していないけど、顔の向きを変えるたびに、それぞれ違った物語がそこにある。

小さな会社のロゴにも意味があれば、それができるまでのストーリーがある。風化したのれんのかかった入り口は、きっと今まで数多くの人がくぐってきていたのだろう。他の家の陰に隠れてしまっている小さな公園は、きっともっと大きかったのだろう。



見えるものだけが全てじゃない。井の中の蛙から、大海を見下ろす海鳥になりたい。


そして小さな井戸へと着いたのでした。





 2016_05_14


歩く。



空を見上げる。青い。

雲が流れている。気流に乗って西から東へ。緩やかだけど、確かに流れている。



月が浮かんでいる。上限の月だ。


空に張り付いたように見えるけど。目を凝らせば立体的なのがわかる。

動いていないように見えるけど。実際は高速で回っている。向きが変わらないのは月の自転周期と公転周期が同じだからだ。

ただ浮かんで見えるけど。空に浮いているのではなく、もっと先の、宇宙に浮いている。周りにあるのは青色じゃなくて黒色だ。

今、なんてことなくただただ歩いているけど、実際は秒間約30kmで動いている。

見えない、感じないところで、静かに事は動いている。



自分が感じるこの一瞬は、宇宙のものさしで図ると一瞬ですらないのだろう。



宇宙カレンダーというものがある。

宇宙の歴史を365日に圧縮したら、一秒は約400年程度だそうだ。関ヶ原の戦いは、12月31日が終わり、新たな年が始まるまさに1秒前というわけだ。

自分の感じる1秒とは、宇宙カレンダーでいう1秒の、1/400のさらに1/365の、1/24の1/60の1/60ということらしい。


そんな一瞬を生きているはずなのに、一日は長いし、一か月はもっと長い。一秒は一瞬のはずなのに。


広大という事はひいては些細であるともいえる。極小はとてつもなく壮大なことでもある。



二面性。表があれば裏もある。


よくメディアやネットでも裏を返せばって聞くけれど。表と裏だけじゃなくて、側面もあるから聞いても納得できないんだなと感じたり。

簡潔で完結的であることが求められるけど。複雑で永続的なのが感情だから、説得されても納得なんて

出来ないんだろう。



頭の中がごちゃごちゃしてきたからそろそろ引き返そう。





 2016_05_14


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